星空のマリオネット さん
星空のマリオネットさんのレビュー一覧
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282件中1-10件
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尋常でない映像感覚の鋭さ(0)2008年10月7日 to ストライキ
エイゼンシュタイン監督の「戦艦ポチョムキン」以外の映画を観たのはこれが初めてですが、やはりこの監督の映像感覚の鋭さは尋常でないですね。
モンタージュ理論を確立したということで、映画の教本にも登場するエイゼンシュタイン。
そのモンタージュ理論の実践を別にしても、この映画「ストライキ」(1925年)は、その抜群のテンポの良さ・スピード感、構図の面白さ、アングルの多彩さ、無垢さと残酷さの対称、アップの表情の雄弁さ、モノクロ映像を活かす光と影の鮮やかさ等々・・・映画が持つ扇動的な特性を極限まで研ぎ澄ましたような作品です。水の表現も面白い。夜半の雨に、激しい放水。
ソ連の国家映画委員会のバックアップを受けて制作したこともあるのでしょう、映画としてのスケールも非常に大きい。
しかし、彼も後年の1944年〜46年の「イワン雷帝」三部作においては、映像による独裁体制批判に気づいたスターリンから睨まれることになる。第二部は上映禁止となり、第三部は未完のまま放棄。その後映画を作ろうとしなかった彼。
なお、この「イワン雷帝」第二部では歌舞伎の様式美(見得を切る)を採り入れられているとのこと。本作を観ても、エイゼンシュタインの表現と親和性があるように思います。
また、ディズニーやチャップリンとも親交があったという彼。独自の文化を活かしきれない日本映画や西部劇等ハリウッド映画を容赦なく批判した彼が、ディズニーのアニメ「白雪姫」を映画史上最高の傑作と称賛したのは有名な話のようです。共感:1人
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贅沢な古き良きファミリー映画(0)2008年10月6日 to オズの魔法使
本作は、児童文学『オズの魔法使い』をMGM社が監督にヴィクター・フレミングを、ドロシー役にジュディー・ガーランドを起用し1939年に映画化したものです。
いまだにアメリカの人々に最も愛されているミュージカル映画の古典の一本。当時、ディズニーの長編カラーアニメ「白雪姫」の大ヒットに触発されたMGMが制作にかかったものの、監督の交代やキャストを巡ってのトラブルなどあり、難産の末ようやく陽の目をみた作品のようです。
(MGMは同年やはりフレミング監督で「風と共に去りぬ」も公開。両作ともテクニカラー(三色法)を使った贅沢なカラー映画でした。)
僕は2度目の鑑賞ですが、第二次世界大戦勃発直前のこの時期に、眩いばかりの極彩色の映像と華やかなミュージカルシーンを実現した、こんな子供向け映画に膨大なエネルギーを注いでいたアメリカという国には、やはり驚きを禁じえません。
オズの国はカラーの国。
邪悪な『西の魔女』は赤い煙の閃光とともに姿を現します。そのリアリティには舌を巻くほどで、いま観てもお見事と掛け声をかけたくなるほどの出来栄えです。
小人たちの住む色鮮やかな街や森の中に続く黄色いレンガの道(yellow brick road)を、ドロシー、脳味噌のない案山子、心のないブリキ人形、臆病なライオンが曲に合わせて踊りながら歩いていくシーンの楽しさ。愛犬トトがその前後をうろちょろとついていく姿が可愛い。
一方で、翼の生えた猿の大群の黒い影の怖ろしさ。
カンザスはセピア色の国。
当時16・7歳だったジュディー・ガーランドが牧草に寄りかかりながら歌う「虹の彼方に(Over the Rainbow)」は、この時代を超えたスタンダードナンバー中のスタンダードナンバー誕生の瞬間です。
また、カンザス名物・竜巻のおぞましい造形とうねり迫りくる様子の迫力は凄まじいものがあります。ここまでやるんですね!
竜巻や魔女や魔物だけでなくちょっと不気味な案山子やブリキ人形等も登場し、子供達にはコワ〜イ映画かもしれませんが、それも微笑ましく家族そろって観ることのできる昔ながらの映画でもあるんだと思います。
PS
YOU・CUBEでは、ジュディー・ガーランドが劇中「虹の彼方に」を歌うシーンや、黄色いレンガ色の道を踊るシーンも観ることができます。
映像は必ずしも鮮明ではないですが、映画の雰囲気の一端を垣間見ることができるかもしれません。共感:3人
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肉弾って何?(6)2008年10月5日 to 肉弾
1968年(昭和42年)、岡本喜八監督の『明治100年記念』芸術祭参加作品です。
かなりシュールな喜劇。軍国主義=戦争に対しそして戦争を忘却し高度成長を謳歌している現代(当時)に対し、痛烈な皮肉を食らわすモノクロ映画です。
陸軍予備士官学校で終戦を迎えた岡本監督の執念と空想力の賜物。
こんなユニークで面白い映画が存在したなんて、今までまったく知りませんでした。
全裸の兵士≪あいつ≫を演じる寺田農の一人芝居には、奇妙な現実感があります。彼に絡む暴力的で愚かしい典型的な上官・田中邦衛や、両腕を失ったおじいちゃん・笠智衆の芝居が抜群に面白い。幼い表情の女学生・大谷直子の闇に浮かび上がる白い裸体や、幻想的な笑顔のおばあちゃん・北林谷栄も印象的。
アメリカ軍の日本上陸を迎え撃つべく、広大な海の上や砂漠の上から独り顔だけぽっかり出して浮遊する≪あいつ≫。まともな武器なんて何ひとつ持たされてはいない。常識もあり勝ち目かないことを悟っているにもかかわらず、戦車や軍艦に肉弾(特攻隊)として体当たりするという任務に真面目に従事する。殺された大切な人たちのことを思いながら・・・
空腹なのは咀嚼の仕方が悪いからだと、一口40回は噛まないといけないと大真面目に説く偉い人。牛のように食べ物を反芻してみせる≪あいつ≫に、思わずのけぞる上官・田中邦衛。そんな牛や豚あつかいの兵士が特攻隊員になるや神様と奉られる。
そんな神様より人間になりたいと願う。
世の中から簡単に見放された名もなき神様≪あいつ≫の叫びは無視されたまま。岡本監督の怒りが沸点に達するラスト!共感:4人
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行き止りの青春映画(0)2008年10月4日 to 青春の蹉跌
主演に萩原健一、相手役に桃井かおり。
初めて観たとき、この二人の正体不明の強烈な魅力に気押されてしまったことを覚えています。
神代辰巳監督の映画を体験したのもこの作品が最初です。全編を覆うネガティブで虚ろな空気感の中にも、堕ちていく弱い人間たちを愛おしむような視線の存在を強く感じ、すっかり惹き込まれてしまいました。
1974年の作品。神代監督のもと脚本・助監督に長谷川和彦、撮影に姫田真佐久、音楽に井上尭之。原作は石川達三の小説です。
『貧しい生い立ちの強い上昇志向をもった頭脳明晰な青年の過信と挫折を描いている』という原作を、神代と長谷川は言葉では表現できないようなテーマの作品に変貌させています。
学生運動から逃げ出し、金持ちの伯父から援助を受ける身に堕している若者(萩原健一)。プライドや生きる意味を失ってしまったように見える彼は、閉塞感の中で関係をもった女(桃井かおり)と抜き差しならない状況に陥ってしまう。
自分の意志で明日を掴もうとしているのか、或いは成り行き任せなのか判然としない。刹那的な交歓を繰り返す女に対して、またドロップアウトしていく友人や先輩に対して、結局自分を守るという行動しか取れない自分自身への嫌悪。
「えんやとっと、えんやとっと・・・」としらけて呟くことで、自分自身からも距離をとって何とか生きているのかもしれない。
女を演じた桃井かおりさんは当時から個性的な女優でファンだったのですが、今回久しぶりに観てみて、その凄さに驚かされました。単なる個性というよりは、女優としての生まれながらの毒と技をもった女役者だと思います。
萩原健一と桃井かおり。二人のベッドシーンや雪山での道行シーンは、神代監督でなければ表現できない肌ざわりで素晴らしい。姫田真佐久のカメラも見事にサポートしています。
井上尭之の音楽も好きです。いつまでも忘れられないシンプルな旋律が救いを与えてくれるように感じるのです。
学生時代に通った名画座の暗闇が似合ったこの映画に敬意を表し、満足度は100点です。共感:2人
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幸福者(4)2008年10月2日 to 転校生
本当に楽しい映画ですね。僕は初めて観ました。若い時に観ても楽しかったに違いないと思いますが、歳を重ねてから観るのもノスタルジーをかきたてられ、いっそう楽しめるのではないでしょうか。
大林監督は、『自分がこの映画を撮っていた時に味わった幸福感を観客と分かち合いたい!』と、ビデオの中から語りかけています。そして、その言葉どおり幸福感に浸ることができました。
尾道の景色や登場人物たちのワンカットワンカットが愛おしい。監督がこの映画に注いだ愛情が映像の一コマ一コマにしっかりと刻み込まれています。
当時16歳だった小林聡美が信じられないほど素晴らしい。中身が男の子に入れ替わってしまった彼女の大胆で繊細な一挙手一投足か面白すぎる。ぶっきらぼうな男の子の雰囲気が立ち上っていたり、頼りがいのある男子の落ち着きが見えたり・・・
尾美としのりの女の子ぶりも可憐です。女装していなくても、あの目つきといい女の子にしか見えない。
音楽もいいですね。監督が好きなクラシック音楽がこれでもかと流れます。チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレ、シューマンのトロイメライ、バッハのG線上のアリア、マスネのタイスの瞑想、オッフェンバッハの天国と地獄・・・
モノクロ映像で映し出される美しい尾道の風景とその中を駆け抜ける二人の姿が、懐かしい旋律に乗って観る者を日本映画の永遠の古典の世界に誘(いざな)ってくれます。
何といっても先ず小津安二郎。
そして、瀬戸内の景色や木洩れ日は木下恵介や黒澤明を思い出させてくれもします。日本映画の先達に対し大林監督が示す敬愛の情。
また、少しだけ登場する古色蒼然とした八ミリ映像は、監督自身の若き日への賛歌か戦前の無声映画・活動写真への憧れか。
このようなノスタルジックなモノクロ世界の冒頭から、画面に色彩が現れるとともにちょっと可笑しくて哀しい現代の青春映画へと切り替わるのです。
さあ、二人の物語の始まりです!共感:3人
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つまらなかった・・・(7)2008年9月29日 to ミスト

(C)2007 The Weinstein Company.All rights reserved.いろいろな感じ方はあるのだと思いますが、この映画はつまらなかったです。
スーパーマーケットに閉じ込められた人々のあざと過ぎる人間模様によって、この物語への興味はすっかり削がれてしまいました。子供を守る勇敢な主人公や終末論者(?)の煽動等パターン化された、いかにもアメリカ映画らしい演出は苦手です。
(例えば、スピルバーグの「宇宙戦争」の時も同じように感じました。)
怪物を孕むミスト(霧)の存在にも、創造性を感じることができません。
(「エイリアン」からなかなか脱却できないのは何故?)
ラストシーンのとってつけたような『悲劇』は、製作者の質の悪さを露呈させてしまったのではないでしょうか。意味ありげなこの映画のラストに、ある意味ふさわしい。
このラストには、神が人間の傲慢さを罰する(人間が人間を罰することはできない)とか、アメリカ人自身に反省を促すとの含意があると指摘されていますが、この映画はそんなことを感じさせるほどの説得力を持っていたでしょうか。
映画には、フィクションを真に受けてしまう程の奥行きや余裕が必要だと思いますし、一方で不可解な部分も残して欲しいものです。
PS
「ショーシャンクの空に」(1994年)をものにしたフランク・ダボラン監督が、2001年の「マジェスティック」(私は好きな映画です。)以来久々にメガホンをとったのが本作です。
10代の観客や20代の男性からはそこそこの評価を受けたようですが、それ以外の層からの評価はいまいち。次作ではプロデュースや脚本は人に譲った方がよいかもしれません。共感:4人
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光沢をもった「赤」の美しさ!(0)2008年9月29日 to 叫びとささやき
カラー映画であるのに、まるでモノクロ映画のような端正で凝縮された美しさを持った、驚くべき作品です。黒と白に加え、赤とのコントラストが深く鮮やかで、見事と言うしかありません。
女の顔や体は生々しい肌色であるけれど、その奥底を抉ると、鮮血のような「赤」のイメージに還元されてしまう。
「叫びとささやき」はベルイマン監督中期の傑作、1972年の作品。
癌で死を間近にした次女のもとを訪れる長女と三女。彼女たち三姉妹の精神と肉体の闇を、叫びとささやきによって冷徹に描いていきます。
家政婦・アンナ が唯一の救い手。慈母のように大らかで強い存在。
男は一体何をしているのか。男たちは女を阻害する存在でしかありえない。
1時間半程度の短い映画ですが、もう一度じっくり観てみたい作品です。
PS
外国映画で映像が素晴らしく美しいと感じた映画をとりあえず5本挙げてみると、僕の場合、次のようになります。
「ベニスに死す」、「フェリーニのローマ」、「叫びとささやき」、「バンビ」、「アズールとアスマール」。
(以下、投稿翌日に追記)
前者の3本は、不思議なことにいずれも1970年代前半の映画です。
後者の2本はアニメです。「バンビ」はディズニーアニメの古典(1942年)、「アズール・・・」はフランス人作家が異郷イスラムの地を描いた新しい(2006年)作品です。
唐突なPSで恐縮ですが、「叫びとささやき」の抑制された映像が余りに素晴らしかったので、ちょっと脱線してみました。共感:3人
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集中力が続かない(0)2008年9月27日 to 火まつり
柳町光男監督の1985年の作品。原作は三重県熊野で実際に起きた事件をモデルにした中上健次の小説。主演は北大路欣也、ほかに太地喜和子、宮下順子。
公開当時に批評家から高い評価を受け、北大路欣也は本作で多数の主演男優賞を獲得しています。
私は今回初めて観ましたが、これだけぴんとこない映画は久しぶりでした。集中力を維持することができない・・・
海と山に挟まれた小さな村。北大路は村のいい伝えを破る畏れを知らない破天荒な男。神木や神の海を平然と汚し動物たちを殺す。自然の中で或いは女の前で精気に溢れた裸を晒す傍若無人ぶり。
町からこの小さな村にやってきたよそ者の女は、村の男たちから快楽と金を貪っていく。彼女を演じるのが太地喜和子。
自らの欲望にのみ忠実で、神を畏れぬ人間の行き着く先を暗示しているのか、唐突なラストを迎えます。
しかし、この映画は好きになれません。
映像が美しいとも思えない。役者を捉えるカメラもどうも気持ち悪い。
太地さんのファンなんですが、彼女の演技も自堕落な感じばかりが強くて物足りなかった。期待していたのですが。共感:2人
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満天に輝く星たちのような子供たちの笑顔(0)2008年9月25日 to トリュフォーの思春期
小津監督の「生まれてはみたけれど」に続いて観てみたのが、「トリュフォーの思春期」(1976年)です。たまたま子供をテーマとした映画がニ本続いたのですが、受ける印象はかなり違います。
トリュフォー監督の映画に登場する子供たちは、小津の子供たちとは異なり、一人一人どこか切り離された孤独な存在であるように見えます。トリュフォー自身の記憶が投影されているのかもしれません。
この世には星の数ほど子供たちがいて、それぞれ違った生を主張している。
大人の庇護下にいる子供といえども、状況は様々。恵まれない境遇の子供たちも決して少なくない。子供たちの周囲には危険が一杯。子供たちはしなやかではあるけれど、偶然によって生かされている危うく尊い存在。
異性を意識する少年少女。この様態も様々。
母性に憧れる少年の初めての失恋。肉体への膨張した関心。
しかし、天真爛漫な笑顔とは縁遠い無表情な少年がいる。
帰る場所もなく、夜の街を独りさまよう。涙さえ出ない。愛されない子、虐待される子。盗みと映画館が彼の居場所。
私生児として、愛を受けることなく生きてきた少年トリュフォー。
彼を育てたのが映画館。そして彼を救ったのは、彼の孤独を受け入れた観客たち。
ラスト。トリュフォーの願いに耳を傾けたい。大人の傘は雨風を防ぐほど大きくはないかもしれない。でも差しかけて欲しい。
満天にキラキラと輝く星たちのように、無数の子供たちの笑顔を見ていたいから。共感:2人
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小津監督の無声映画の妙(0)2008年9月23日 to 大人の見る絵本 生れてはみたけれど
たまたま子供をテーマとした映画をニ本続けて観ました。一本が「トリュフォーの思春期」、もう一本が本作、小津安二郎監督の無声映画(昭和7年)「大人の見る絵本 生まれてはみたものの」です。
両者とも小学生たちの世界と大人の社会との関わりを描いているのですが、さすがに日本とフランスの文化の違い、加えて戦前1930年代と1970年代という制作された時代の違いもあるせいか、受ける印象はかなり違います。個人主義の度合いが全く違っていて、子供たちの世界にもそれが現れているという面もありそうです。
さて、本作のこと。
無声(サイレント)映画をそれほど沢山観たことがあるわけではないので、この映画を評価することなんてできないですが、とにかく面白くて笑える映画です。
無声映画で音楽の伴奏も付いていない全く音のない世界なんですが、しばらく見ているうちに、音がないことを忘れてしまいます。(尋常)小学校に通う兄弟の動作や表情が余りにも可笑しく雄弁で、そのうちに一両だての電車が彼らの家の脇を通り過ぎる音さえ聞こえてくるのです。
近所(学校)の子供同士のやりとりや力関係の変化も楽しい。いいとこのお坊ちゃんは帽子や服からして違うのですが、これが絵になっていて傑作。兄弟の父の上司(重役)の息子だけれど、いつのまにか兄弟の弟分に。
謹厳実直な父親が重役の前でバカになって演じるギャグは志村けんも顔負けの出来。資産家の重役を前にした、しがないサラリーマン課長である父の労苦。偉いと思っていた父親のそんな姿にショックを受ける兄弟。
そんな兄弟を前にした父と優しい母・・・
後年の小津監督の映画からは想像しにくい軽妙なコメディータッチの映画ですが、ハイカラでお洒落な点は小津監督ならではです。エキスパンダーに白い生垣のある庭。昭和30年代のよう。
満州事変の翌年、市井ではまだまだこんな穏やかな時間が流れていたのか、或いは小津監督の意地が見せた時間なのでしょうか。
大人であっても子供であっても、人の細やかな情をさりげなく描く小津の真骨頂。サイレント映画にも生きていました。
PS
私は子供のころ社宅に住んでいたことがありました。社宅の子供たちは、上級生から下級生まで一緒になって、ぞろぞろとくっついて遊び回っていたものです。
この映画の光景が懐かしい。共感:2人
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